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Hello! Reds Family「清尾 淳さん」
皆さんこんにちは!
浦和レッズ後援会です。
今月のHello! Redsは、
清尾淳さんです。
清尾さんは、皆さんご存じの通りホームゲーム時に発行されているマッチデープログラムを制作されています。
普段は選手などを取材されている清尾さんですが、なんとご自身が取材される側になったのは、約10年ぶりだとか…?
マッチデープログラムの製作秘話や、清尾さんと後援会の歩みについてなどをお伺いしてきました!
是非、ご覧ください。
◇浦和レッズと共に歩んだ30年
―――現在のお仕事を教えてください。
株式会社清風庵で浦和レッズ関連の仕事をしています。
皆さんもご存じかと思いますが、マッチデープログラム(以下「MDP」)のメインライターをしています。編集会議にも参加しますが、その中で受け持ったページのライターを務めます。大体、全体の3分の1から多い時で半分程度のページを受け持っています。
その他にも、レッズのパートナー企業である、埼玉縣信用金庫様のオフィシャルサイトに掲載されているコラム、POLUS様の社内報のレッズコーナー、株式会社エネクル様のレッズ電気のページ内の「素顔の選手たち」などを書かせていただいています。
その他に、個人で行っているのはYouTube・noteへの投稿です。
YouTubeでは、レッズの歴史を残しています。今220本ほど投稿しています。
noteでは、レッズができてからの30年間の中で、その日に何があったか一番印象深い出来事を毎日投稿しています。例えば8月10日なら、過去30年間で8月10日にレッズはこんな試合がありました、一番思い出に残っている試合や記録として残しておきたい試合など、試合の内容やその時の状況などを記載しています。1日あたり大体、10試合くらいはあるかな。過去30年間の中で365日毎日何かしらはあります。
オフシーズンを除く3月~12月までは、過去30年間の中でほぼ毎日、何かしら公式戦がありました。ただ、1度だけサテライトの試合を載せたことがあるので、それは公式戦がなかったのだと思います。オフシーズンには例えば“記者会見がありました”や“出ていく選手が決まりました”などを書いています。
それと同じテーマで知り合いのファン・サポーターに「その日、私はこうしていました」という記事を書いてもらっています。始めた頃は、1日に10人くらいの方が書いてくれていたのですが、最近は皆さん疲れたのか減ってきて、常連さんが3人くらいになってしまいました。私が書くのは私の想いなので、色々な人がその日の想いを書いてもらえれば、肉付けできて面白いのではないかと思い、始めました。
昨年の3月から始めたので、2月まで終わったら一区切りしてまた次のことを考えるつもりです。
―――MDPの発行までのスケジュールをお伺いできますでしょうか。
コロナ前と現在では変わったこともありますが、現在は原稿の最終を試合日の2日前の夜8時にはあげたいと思っています。その前に入稿しているものや、私以外が記載しているものもあり、そこから印刷、製本としていきます。
やはり直前の試合日程によって忙しさは変わってきます。試合が終わらないとチーム状況や次に向けての話も書けないので直前の試合後に書き出すページもあります。
特集ページは毎度の編集会議で話し合います。相手によっては、「過去の因縁について載せよう」や「その大会のエピソードを載せよう」などその都度変わってきます。その内容は直前の試合内容とはあまり関わりがないので、先に入稿してしまいます。
―――選手とも直接お話されるのですか?
試合後はもちろん取材に行きます。試合後だと私一人で取材するわけではなく、色々なメディアの方と一緒に取材をすることになります。同じ話をみんなが聞いているので、その話が翌日の新聞やネットに載ってしまいます。MDPは有料冊子ですから、なるべく知らない話を書かなければいけないと思っているので、試合後はなるべく記者が集まっていない選手のとこへ行き、記者が集まっている選手には翌日大原で聞くなどの工夫をしています。
現在、トップチームは練習が非公開ですが、幸いオフィシャルメディアだけは練習も見られるし、選手と適度な距離を取って取材をすることができます。そこで前日の試合でゴールを獲った選手や、活躍した選手に話を聞いています。なるべく、その選手が試合の日に他の記者に何を言ったかを見ておいて、それと被らないように話を聞いています。
―――MDPを制作する上での秘話はありますか…?
昔は大変でした。昔というと30年くらい前です。通信手段、印刷方法が今とは全く違ったので…。インターネットや携帯電話も普及しておらず、写真は取りに来てもらい原稿はFAX。段々、メールやデジタルカメラができ、色々なことが便利になったので、物理的に制作にかかる時間が減っていきました。丁度その頃パソコンが流行りだし、原稿を受け渡し先のデザイナーさんにデータで渡すので、FAXも必要がなくなりました。FAXで受信した原稿はデザイナーさんが再度入力しないといけないので、メールになるとその手間も省け再度打ち込み時の間違いも減り短縮できましたね。
―――清尾さんだから知っている○○選手の一面は…?
選手は喋ると見た目との違いがよく分かります。岩尾選手は、本当によく考えて話をしています。頭の中で文の順番を考えながら話してくれるので、話があっちこっち行かない。言ったことをそのまま文字にすれば、そのまま原稿になるくらい間違いないです。それを意識して話すときに時間がかかるとよくないのですが、岩尾選手は瞬時に言葉ができます。彼は読書が好だからかな。
宮本選手は、すごい筋肉マン!!きっと自分に自信があるのだろうけど。(笑)中距離がすごく速いらしいんです。小中学校の頃、都の大会の記録を持っているらしい…?だから試合終わるまで走れるしね。
◇地元を大事にするプロスポーツクラブが浦和にできることは絶対に大事
―――清尾さんと後援会の一番初めの出会いを教えて下さい。
浦和レッズができる前の1990年初めに、“浦和にプロサッカーチームを誘致したい”という活動に関わったことが一番初めのきっかけです。
以前は埼玉新聞社に勤めており、「地元を大事にする活動は、埼玉新聞社のためになる活動だ」と思いました。いわゆるボランティアでそのような活動に参加したというよりは、“仕事として”が強かったです。当時、Jリーグはまだ今のような形では全くありませんでしたが、地元を大事にするプロスポーツクラブが浦和にできることは絶対に大事だと思っていたので、一生懸命活動しました。
レッズの前身の三菱自動車サッカー部は元々地元のチームではなかったので、受け皿として「プロ球団を作ろう会」という団体が発展的に後援会になりました。だから、私もその団体に関わっていたのでそのまま運営委員にならせていただいたという形です。
―――思い出に残っているイベントはありますか?
スタンプラリーは印象に残っています。浦和駅から浦和駒場スタジアムまで色々なお店にスタンプを置いておいて、それを集めてスタジアムまで行き、サテライトの試合を見るイベントをしました。
スタンプラリーのスタンプを何にしようかという話になり、写真から顔写真になるサイトを見つけて、(今じゃ当たり前にあるかもしれませんが、当時は結構珍しかったんです。)選手全員の顔をスタンプにしました。どこに誰のスタンプがあるかを表記し、“あなたの好きなベストイレブンを作ってみよう”というイベントでした。ゲストと同じベストイレブンだと、ピタリ賞という仕掛けもしました。
横浜フリューゲルス戦の船を使った応援ツアーは私の発案ではなかったし、企画初めは「えー、そんなのやるの…?横浜に行くのに何でわざわざ船で行くの、電車で行けばいいじゃん…。船の方が時間もお金もかかるし…」と思っていたのですが、予定数をオーバーする応募が集まってきて本当に驚きました。そのようなことに楽しみを感じてくれる人が多かったなと思います。今でも多いとは思うけど。
後援会の企画する応援ツアーは楽しいですよ。バスの中で一緒に話しているのも楽しいし。
◇レッズを話すことが自分の意義
―――清尾さんにとって浦和レッズとは…?
現在私は65歳で、MDPの製作を始めたのは35歳の時、レッズの誘致活動の頃は33歳でした。要は人生の半分をレッズと付き合っています。これからは付き合いが伸びていく一方です。
自分がレッズと関わってきた証として、今YouTubeやnoteを投稿しています。せっかく仕事として、開幕当初からほとんどの試合に行き、色々なところに顔を出していて、自分の知っていることや見聞きしてきたことをなるべく整った形で残さないと自分がさせていただいていた意味がないと思っています。
私からレッズを取ったら大したものは残らないわけで、今も昔もレッズを話すことが自分の存在意義だと思っています。30年経つと人や世代も変わってきますし、現に昔のことを知っている人も段々減ってきています。後援会も今年は30周年で色々やると思いますが、そこは自分も協力したいと思っています。
―――今後浦和レッズを通して挑戦してみたいことはありますか?
あります。具体的なものと言えば、ミュージアムです。レッズの歴史を残すとき、「それをどこで触れるの?」といえば、ネットや本かもしれませんが、「あそこに行けばみんなあるよ。」という場所が欲しいと思っています。自分のお金でミュージアムは作れないけれど、ミュージアムを作ると盛り上がる時が来たら、協力をしたいです。自分の持っているもの、頭の中にあるものを全部出したいと思っています。これは具体的な目標です。
もう一つは、浦和レッズの試合の日に旧浦和市のほとんどの人が「浦和レッズ、今日試合だよね」と気にするようなエリアにしたいです。応援してくれなくてもいい、スタジアムに来なくてもよいので、身近に感じてほしいと思います。
―――最後に浦和レッズ後援会会員の皆さんにメッセージをお願いします。
最近、会員数が減っていると聞いておりますが、後援会は、クラブの肝入りで設立したわけではなく、地元からできた組織でこれは浦和レッズの誇りです。なので、レッズを応援するだけでなく、それに加えて地域もレッズで幸せになってほしい、これからも引き続きそのような活動をしていくと思います。
会員の皆さんもレッズの応援もそうですが、お友達もレッズのファン・サポーターになってもらえると楽しいと思います。後援会のイベントに会員ではない人をお誘いするなどして、後援会の活動でレッズを楽しく見られるように、受け身だけではなく一歩踏み出してみると楽しいのではないかと思います。
以上清尾淳さんのインタビューでした。
浦和レッズ開幕時のお話や後援会の設立当時の貴重なお話をお伺いすることができました!
是非、清尾さんが配信されているYouTubeやnote、その他コラム等もご覧ください!
最後までお読みいただきありがとうございました。