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Hello! Reds Staff「水上 裕文さん 後編」

皆さんこんにちは!
浦和レッズ後援会です。

今月のHello! Redsは、
浦和レッズクラブスタッフ 水上裕文さんです。

昨日に続き本日は、後編インタビューをお送りいたします!
現在、水上さんは育成担当として浦和レッズアカデミー選手と共に過ごしておられます。

後編では、水上さんと浦和レッズの出会い、また現在の育成担当での浦和レッズアカデミー選手に対する想いをお話いただきました。





◆走り続けた30年、気が付いたら選手がみんな年下!

―――どのような経緯を経て浦和レッズで働くことになったのですか?

もう、30年前の話になっちゃいますよ(笑)。僕自身ずっとサッカーをしていたので、高校卒業後も実業団でサッカーをしたいと思い、いくつか当たっていたのですがその夢は叶いませんでした。

それなら“サッカーに携わる仕事がしたい”とサッカージャーナリストになろうと思ったのですが、当時はバブル全盛期で“大学生しか採用しません”という企業がほとんどでした。
僕は浦和出身なのですが、アルバイト先のセブンイレブンで、“このキャラクターに名前を付けてください、応募者の中から三菱浦和フットボールクラブの網走キャンプにご招待”という(今でいう)「レディア」の名前募集のハガキを買い物に来たお客さんに配っていました。
ふと、ハガキの後ろを見るとクラブの住所が書いてあったので、そこへ就職希望の手紙を書くと、1992年の春先に「面接を受けてみないか」と連絡がきました。
当時は、三菱浦和フットボールクラブが何をするところか正直よく分かっておらず、田町の三菱自動車の本社に入社面接を受けに行くと、そこには藤口さんと佐藤仁司さんと落合征三さんが待っていました。今でも採用面接のことは鮮明に覚えています。その後入社が決まり、年末に三菱自動車フットボールクラブの出陣式と新加入会見がありました。池田太さん(現:なでしこジャパン監督)や池田伸康さん(現:浦和レッズユース監督)や西野努さん(現;浦和レッズテクニカルダイレクター)などが会見をしていて、池田伸康さんが「甲子園目指して頑張ります」と笑いを誘っていたのが凄く記憶に残っています(笑)。
何気ないアルバイト先のセブンイレブンで、レジの横に山積みにあったレディアの名前募集のハガキの裏の住所にたまたま送ったことがきっかけでした。


―――Jリーグ開幕当時の様子はいかがでしたか?

1年目から何年目までか分からないですが、その辺りの記憶がないんですよね(笑)。
開幕当時は10チームで戦っていましたが、水曜日土曜日水曜日土曜日と年間50試合くらいを行っていたので、忙しすぎて記憶がないです。
当時はJリーグバブルで練習場や宿泊場所などにファン・サポーターがたくさんいました。試合後に福田正博さんを自宅に送る際には必ず2台3台車がついてくるんですよ。だから10分くらいで帰れるところを、30分ほど浦和の街をぐるぐる回って「いつまで経っても帰れないですね」みたいな。福田さんも「もういいよ、家まで行って、そこまでついてくるなら俺が言うよ。」という時代でした。休んだ記憶もないし友達と遊んだ記憶もないし、ひたすら仕事をし、ひたすら負けていた記憶しかないですね。いつも倉庫でユニフォームの準備をして、「今日もまた負けにいくんだろうな~」という感じでしたね。年間5勝くらいしかしていないですからね(笑)。


―――それでも頑張り続けることができた理由があるのですか?

当時は入社したばかりで、サッカーも好きでした。何よりJリーグは花形のスポーツで映画になったりとブレイクしていたので誇らしい仕事でした。親や親戚も喜んでくれますし、やりがいはすごくあったと思います。

当時のスター選手とボールを蹴らしてもらったり、近くで練習を観たり、すごく良い経験で有難いことだと思っています。


―――水上さんの「仕事の流儀」は何ですか?

そんなにかっこいいものはないですが、「とにかく集中する環境を作ること」ですかね。大原だと、毎日そこでトレーニングするのでなんでも揃っているのですが、キャンプやACLなど場所が変わった時でもなるべく大原と同じような環境で選手たちが過ごせるようにしてあげたいと思っています。

あと10年若いときにインタビューしていただければ、もっとお話できたかもしれないのに…!(笑)
マネージャーの最後に思ったことは、入社した時は年齢が一番下だったのに、気づくとチームでも真ん中の年齢になっていて、また気づくと僕が一番上で全員年下になってしまったということです。
ある監督が選手たちに、「彼の言葉は俺の言葉だと思え」と言ってくれたことがありました。だからって偉いわけではないのですが、選手たちが僕の仕事に対してリスペクトしてくれて、仕事がやりやすくなったことがありマネージャーという仕事も立場による違いがあるのだなと思いました。




◆浦和レッズを世界一のクラブに

―――現在はアカデミー担当ということですが、長年強化担当として、一流のアスリートを観てきた水上さんはどのような思いで将来のレッズを背負う子どもたちと接していますか?

浦和レッズのアカデミーにいる子どもたちは全員、浦和レッズでプロサッカー選手になりたいと思っています。

可能性でいうと全員はさすがに無理だけれど、その中から一人でも多くその夢を叶えてもらいたいですし、ストレートに昇格でなくても、宇賀神選手や伊藤(敦樹)選手のように大学を経由したり、高校・大学は違うけどその後浦和レッズへ入ってくるなど、なるべく多くの選手たちに浦和レッズでのプロ選手を目指してもらいたいです。それに、今はクラブスタッフにアカデミーOBもいるので、プロ選手にはなれなくても将来大人になったときにどんな形であれ、浦和レッズに携わってくれている選手が一人でも多くいてほしいです。

でもまずは、プロ選手を目指す夢を諦めずやってほしいと思っています。今アカデミーにいる選手たちはその素質がある選手たちだと思っているので、あとは運も必要だと思いますね。埼玉スタジアムでもそうですけど、浦和のエンブレムを背負って多くのサポーターの前でプレーさせてあげたいと思っています。





―――子どもたちは水上さんがトップチームでお仕事されていたことはご存じでしたか?

いや、全然知らなくてびっくりしちゃいました。コーチたちも「水上さんは長くトップチームにいたんだよ~」と言ってくれているのですが…。レッズユース出身の大学生と話すことがあったのでトップチームの時の話をしたのですが、次の日に会うと「家に帰って調べてみたら水上さんってすごい人なんですね~」と言われました。その子が20歳とかで自分のことを全然知らなかったのでアカデミー選手たちは知らないものなのかもしれません。もしかしたら保護者の方の方が知っているかもしれませんね。


―――これから浦和レッズをどのようなクラブにしていきたいですか?

世界一のクラブにしていきたいです。強いだけではなくて、みんなが喜んでくれるチームになって欲しいです。それは自分が楽しい、喜べると思うチームじゃないと周りの人たちはそう思えないと思うので、まず自分が楽しみたいと思っています。


―――最後にファン・サポーターである浦和レッズ後援会の皆さんにメッセージをお願いします。

長くここで仕事をさせていただいていますが、後援会の皆さんと一緒に何かをしたことがあまりありません。選手の新人研修などでご一緒させていただいて、僕自身は後援会さんには頭が上がらない思いで本当にこのクラブになくてはならない一つです。どんな時も応援してくれていて、スチュワードの皆さんは自分たちが試合を観るより運営に携わってくださっていますし、もっともっと後援会が大きくそして色々な人が携わってくれたらいいなと思っています。選手たちにも後援会の存在を知ってほしいです。クラブと後援会が一つになって同じ方向を向けると、世界一のクラブと後援会に近づけるのではないかと思っています。

これからもクラブが続く限り、一緒に頑張っていきましょう。

以上水上裕文さんのインタビュー後編でした。
入社のきっかけはとても衝撃的ですよね。採用面接のときのことは今でも鮮明に覚えているともお話してくださいました。
最後までお読みいただきありがとうございました。