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Hello! Reds
「工藤孝太選手」
皆さんこんにちは!
浦和レッズ後援会です。
今月のHello! Redsは
浦和レッズ 工藤孝太選手です!
工藤選手は浦和レッズユースの選手でもあり、今年の5月に2種登録選手としてプロ契約を結び、ルヴァンカップでプロデビューを飾りました。現在は2種登録選手として、レッズユースでプレミアリーグにも出場したりと活躍をされています。
浦和レッズユースでは、背が高く足元が上手いという特徴の選手として活躍されていました。現役高校生ながらトップチームでの活躍が期待されている工藤選手の知られざる一面を取材してきました。
思いやりのある温かい工藤選手からインタビューを聞くことができ、こちらもほっこりしました。
是非、ご覧ください!
◆地元・和歌山を飛び出し、“親孝行”のためサッカーのまち浦和へ
―――名前の由来を教えてください。
「孝太」という字は親孝行の「孝」に「太」いと書きます。太く親孝行して欲しいという意味が込められています。
―――今までに何か親孝行をしたことはありますか?
5月にプロ契約して初任給をいただいた時に、両親と一緒に買い物へ行きました。父には鞄を、母には洋服をプレゼントしました。その時の両親の嬉しそうな顔は忘れられません。私が小学生の時に、あまりよくないプレーをしたときに母にすごく怒られたこともあるのですが、幼い頃から練習や試合をたくさん見に来てくれてずっと応援してくれていたので、プロサッカー選手になることで「少しは親孝行になっているかな」と思っています。
―――サッカーを始めたきっかけを教えてください。
小学校1年生のときに友達に誘われて、夏休みにサッカーの体験に行きました。とても楽しくそこからサッカーを始めることにしました。幼い頃から水泳やバスケットボールなど、習い事を多くしていました。サッカー以外の習い事はそう長くは続かなかったです…(笑)あとは硬筆を習っていたので、字は綺麗な方だと思います。
―――地元和歌山から浦和レッズジュニアユースへ入られた経緯を教えてください。
私には3つ上の姉がいます。中学校に入学するタイミングと姉が高校へ入学するタイミングが同じでした。私自身、小学生の頃に過ごしていた和歌山よりも、大阪や関東などのレベルの高い環境でプレーしたいと望んでいたこともあり、大阪か関東のどちらかには行こうと考えていました。そこで姉が関東の高校に進学することになったので、私も浦和レッズと大宮アルディージャのセレクションを受けました。その後浦和レッズに合格し埼玉へ引っ越すことが決まりました。
中学校に入ると今まで自分が育ち、過ごしてきた環境とは違うことも沢山あって驚きが多かったことを覚えています。言葉のイントネーションの違いや、人の数もとても多くて…。小学校の頃は一学年50人くらい(25名の2クラス)だったのに比べて、中学校では40人が同じ教室にいることが慣れず、入学した頃は不安なこともありました。ですが、同じクラスにレッズのジュニアユースのチームメイトがいたこともあり、友達が話かけて来てくれ、徐々にコミュニケーションを取ることができ、友達が増えて学校生活も楽しくなりました。
―――言葉のイントネーションの違いがあると言っておられましたが、今は関西弁が出ることはありませんか?
関東の人と話すときには関西弁は全く出ません。家族と話す家の中だと絶対に関西弁になってしまいます。というか関西弁でしか話さないです(笑)
―――ジュニアユースに合格した当時の浦和レッズの印象を教えて下さい。
当時はテレビでしか浦和レッズの試合を見たことが無かったのですが、熱いサポーターがとても多い印象でした。小学生の頃私はガンバ大阪が好きだったのですが、ガンバとレッズの天王山を見て興奮したのを覚えています。和歌山から大阪に行くことは結構大変で、タイミングが合う時しか見に行くことができませんでした。そのため、1,2回くらいかな?試合を見に行ったことがあるのは…。
―――浦和レッズアカデミーで過ごし6年を迎えようとしています。思い出深いエピソードを教えてください。
沢山ありますが、やはり一番印象に残っているのは中学2年生のときにデンマーク遠征に行ったことです。
その時の監督がノブさん(現:浦和レッズユース池田伸康監督)で学年の雰囲気もとても良く、デンマーク遠征ではみんなが試合に出てチームの一体感をすごく感じられた大会でした。とても楽しかったことを覚えています。決勝は4-0で勝ちました。
この遠征はホテルへの宿泊はせず、ホームステイだったんです。3人ペアでホームステイへ行き、決勝や準決勝の時などはホームステイで泊まらせていただいている家族が試合を応援しに来てくれて、優勝する姿を見せることもできたのでとても印象に残っています。現地でのホームステイでしたが、私が泊まらせていただいた家はお父さんがデンマーク人、お母さんは日本人という家だったので、コミュニケーションは日本語でスムーズに取ることができました。朝早く起き、みんなでパン屋さんに行き、出来立ての美味しいパンを食べたことはすごく思い出に残っています。
◆突然現れたプロ昇格への道
―――2種登録でのトップチームへの昇格は、どのような経緯で知らされましたか?
正直、プロへの昇格は段階が早くてあまり鮮明に覚えていないので曖昧なのですが…。ユースの練習の次の日に「トップチームの練習へ合流して」とスタッフから伝えられ何度かトップチームの練習に参加していると、「トップの昇格が決まった」と言われて、同時に学校も転校することになり、全てがとても急で全く実感がありませんでした。
―――それではプロへ昇格し、プロサッカー選手になったのだと実感したのはいつ頃ですか?
ルヴァンカップ(4月21日JリーグYBCルヴァンカップグループステージ第3節)に出場したときです。ユニフォームに名前が入っていてプロになったのだなと実感しました。その試合は今までの人生で一番緊張した瞬間で、選手入場の際に流れるルヴァンカップの音楽に鳥肌が立ったことを覚えています。
―――アカデミー時代一緒にプレーした鈴木彩艶選手とのエピソードを教えてください。
私が高1の時に彩艶くんは高2で、プレミアリーグで一緒に闘っていた時なのですが、彩艶くんがボールを投げようとした時に相手選手がぶつかってきてボールがこぼれ失点してしまいました。その後すぐ、彩艶くんが副審のところへプレーについて抗議しに行きました。普段は、物凄く真面目で自分がやるべきことを明確にして、その目標に向かって努力している彩艶くんなので、その抗議の様子を間近で見ていましたがすっごく怖かったです。
◆浦和レッズの頼りになる選手へ
―――浦和レッズでどのような選手になっていきたいですか?
熱い男になりたいです。ディフェンスだけどゴールを決められる、大事なところで頼りになるような選手を目指します。「浦和レッズ」というクラブが似合う選手になりたいです。
―――いつもたくさんの応援をしてくれている浦和レッズ後援会会員の皆さんにメッセージをお願い致します。
今は試合に絡んだりすることはできていませんが、できるだけ早くピッチの中に入り活躍したいと思っています。少しでも浦和レッズの力になれるよう、頑張りますので、後援会の皆さん待っていてください。
以上工藤孝太選手本編のインタビューでした!
5月にプロ契約を結び半年になります。プロサッカー選手といえども、まだ18歳の高校生。インタビューでは、高校生ならではの学生らしい一面も見ることができました。
Additional timeにまとめて掲載してますので、以下ご覧ください!
◆◆ Additonal Time ◆◆
―――プロ選手へ昇格後、高校も転校されたとのことですが、勉強は得意ですか?
いいえ、苦手です。でも、好きな教科は物理です。前の高校のテストで70点以下を取ったことが無いです。どちらかというと理系タイプなのかも…?今通っている高校には物理は無いので、もうテストはありません。
―――せっかく得意なのに勿体ないですね…物理とサッカーが重なる部分はありますか?
何かはあると思っています。(笑)分かりませんが…
―――将来乗りたい車はありますか??
ベンツのゲレンデです。
以上!工藤孝太選手のインタビューでした!
高校時代の思い出などを楽しそうにお話してくれる姿がとても印象的でした。これから浦和レッズでの活躍が増えていくこと、また工藤選手の持ち味であるリーダーシップ性や情熱のあるプレーに期待しましょう!!!
最後までお読みいただきありがとうございました。