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Hello! Reds Warriors
「伊藤敦樹選手」
こんにちは!
浦和レッズ後援会です!
今月のHello! Redsは、
浦和レッズ 伊藤敦樹選手です!!
伊藤選手は生まれも育ちも浦和!アカデミー出身で誰もが知る浦和っ子です。アカデミー時代「特定の憧れている選手はおらず、レッズの試合が好き!」というように、一人の浦和レッズサポーターから始まった生粋の浦和人です。彼だからこそ分かる浦和レッズへの想い、サポーターから選手へ、また浦和レッズアカデミーから流通経済大学へ進みサッカー以外のことを学んだという4年間についてなどをお話してくれました!!!
©2021 URAWA REDS
◆生まれた時から浦和レッズサポーター
――サッカーを始めたきっかけ、浦和レッズとの出会いを教えてください。
サッカーを始めたきっかけは、自分でもあまり分からないです。兄がいたわけでもないので…。気がついた頃には始めていましたね。多分親がサッカーを好きだったということが一番大きいと思います。
浦和レッズとの出会いは、親がレッズサポーターで一緒にレッズの試合を観に行っていたことが始まりです。幼稚園の頃には既にスタジアムに行っていた記憶があります。でも、初めて観に行った試合のことは覚えていません(笑)
――アカデミー時代の教えで今も心に残っていることはありますか?
レッズのアカデミーはサッカーのことだけではなく、私生活のことや学校生活のことなども厳しく言われていました。例えば、学校の成績だったりテストの点数とかも全部スタッフへ報告して、赤点だったり成績がよくなかったら練習ができなくなります。コーチから特別何かを言われたわけではないけれど、学校生活の指導も厳しく受けていたので、サッカー以外は一人の学生としての生活もしっかりできていました。これは、今の自分に活きているのではないかと思います。そのこともあって、勉強はそれなりにしていました。高校の時の好きな教科は社会です。特に歴史の日本史かな!覚えるだけなので簡単です(笑)
――トップチームとユースとの大きな違いはどのようなことなんでしょうか?
やはり、個人の技術や能力の差だと思います。能力的な部分の差はユースとトップチームではかなりあると感じました。高校生のときは成長段階ですし、まだ身体もそんなに大きくないプレーヤーが多くいました。身体づくりができていなかったり、プレースピードやフィジカルの差もあるので、仕方ないことではあると思いますけど…。
環境面では、レッズランドや与野八王子グラウンドで練習をしていたので、ユースの時から天然芝や人工芝という素晴らしい環境で練習をやらせてもらっていました。
――アカデミーの選手たちにトップの選手として何か伝えたいことはありますか?
アカデミーにいることで、トップチームという存在が近くにある事を常に意識できる環境があると思います。トップチームへの昇格を目指していると思うので、毎日意識しながらやっていってほしいと思います。
◆大学サッカーで学んだ“勝負に対する責任感”
――大学へ進学し、中学高校時代に過ごした浦和レッズはどのように見えましたか?
中高とレッズのアカデミーで過ごし、トップに上がれず悔しい思いを持って流通経済大学(以下流経大)へ進学しました。流経大では高校サッカー出身やJユース出身など色々な人たちがいて、他の人たちの話を聞くとやっぱりレッズのアカデミーは素晴らしい環境だったのだなと思いました。流経大の環境も結構よかったのですが、レッズのアカデミーはグラウンドの質や、人工芝天然芝などの施設も、より充実していました。他にも食事の面など、本当に恵まれた環境で過ごしていたので改めて感謝しないといけないと思いましたね。
――浦和レッズから離れた大学4年間の中で何が一番自分を大きく変えましたか?
大学の4年間で一番成長したのはメンタル面ではないかと思います。流経大は1学年60人弱、部員全員では230人いる大所帯のチームです。その中でもトップチームは30人というほんのひと握りのため、そこに入ることはとても厳しいことです。僕も1年生の夏頃まではトップチームになかなか絡むことができませんでした。全寮制やその他の厳しい環境で過ごす生活の中には、理不尽なこともたくさんあり、怒られることも多く精神的に厳しいこともたくさんありました。それを乗り越えた4年間だったので、メンタル面は高校のときよりも成長したのではないかと思います。
――そのままトップチームに昇格せず、大学サッカーを経験してよかったと思うことはありますか?
高校3年生の時、トップチームに上がるためにはサッカーの実力もフィジカル面でもすべてにおいて力不足でした。当時はトップチーム昇格の天秤にかけられることすらできていなかったので、大学に進学して良かったなと思っています。大学サッカーを通じて、4年間寮生活をしたことや大学サッカーでレベルの高い公式戦を毎週できることは自分の成長にも繋がっていたのでよかったと思っています。4年生の時コーチに「高卒で昇格した選手と大学リーグを経て加入した選手の大きな違いは、勝負に対する責任感である、最高学年として勝つという責任を感じながら闘うことができるのが大学サッカーのいいところだよ。」と言われたことがあります。4年間の大学サッカーでのプレーを通して、責任感を持ちながら試合を闘い、その言葉の意味を体感しました。これは大学サッカーならではの良いところだと思っています。
◆浦和を背負う男へ
――サッカーの街浦和で育ったという実感はどのようなときに湧きますか?
レッズの試合がある時が一番感じます。何よりも浦和レッズを応援してくれる人がとにかく多いことです。自分もスタジアムに応援へ行っていたので浦和に住んでいる人たちがどういう思いでレッズを応援しているか、どのくらい熱い想いで応援しているかは強く理解していると思っています。幼い頃から感じていた浦和レッズへ対する熱い想いは浦和の街そのものです。
――浦和の街で地元だなと感じる場所はどこですか?
やはり浦和と言ったら埼スタじゃないかな。でも浦和駅に帰ってきたら地元へ帰ってきたなと感じます。
――浦和レッズにこだわる理由を教えてください
浦和で生まれてレッズの試合を見て育って、中高アカデミーに所属していたので、今レッズで過ごせていることは本当にありがたいことです。そしてこれからもずっとレッズにいたいと思っています。こだわる理由は単純に浦和レッズが好きだから。ただそれだけです。
――浦和レッズを背負って戦う選手として、どのようなサッカー選手でありたいですか?
浦和レッズのサポーターは熱い方々が多いのでそのような人たちをみて、より熱くなってもらえるようなプレーをしたいです。
――最後にファンサポーターである後援会会員の皆さんにメッセージをお願いします。
浦和出身選手として一試合でも多く試合に出て、レッズの勝利に貢献できるように頑張っていきます。これからも応援よろしくお願いします。
©2021 URAWA REDS
◆◆ Additonal Time ◆◆
Q 伊藤敦樹選手のアピールポイントはどのような所ですか?
A 難しいな、あんまりない、そういうタイプではないんですよね僕…。
何だろう…。冷静さ!!!
Q 流通経済大学もユニフォームは赤!それ以外の色のユニフォーム着たことがありますか?
A 流経大の4年生の時に3rdユニフォームがあって黄緑のユニフォームを着ました。赤やアウェイの白やゴールド以外を着たのはその時が初めて!!今思うと本当に赤以外着たことないですね。そして、僕は赤が好きです!!たまに好きな色は?と聞かれる時があるのですが、「赤!」と絶対言います(笑)
Q 伊藤選手が「僕だけが知っているエピソード」を教えてください。
A タクくん(岩波選手)はめちゃめちゃ後輩思いです。僕が大学生の頃に練習参加した時も積極的に話しかけてくれました。絡んでくれたほうが溶け込みやすいし、過ごしやすいので本当に感謝しています。その後も練習参加に来た選手のことをいじったりしているのでそういった面では本当に優しいです。
Q もし、サッカーをやっていなかったら今何をやっていると思いますか?(野球?ラグビー?)
A サッカー以外の他の球技はあまりできないんです。野球も投げ方が変!って言われるし、バスケもあんまり得意じゃない、そもそも身体能力がイマイチなんですよね、マット運動も苦手だし…。もしサッカーをしていなかったら、まず球技ではないんじゃないですかね。かと言って勉強も好きじゃないし…。おそらく、普通の人だったと思います(笑)
以上伊藤敦樹選手のインタビューでした。
質問一つ一つにも丁寧に答えてくださり伊藤選手の人柄を感じられる、とても楽しい時間を過ごすことができました。
自分のアピールポイントをかなり真剣に考えてくださっていたところがとても印象に残ったインタビューになりました。
幼い頃から憧れていた浦和レッズのエンブレムを胸に、ピッチの上で躍動する伊藤敦樹選手にこれからも期待しましょう!